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反骨と異端

やどかりアウトロー編

空気を読んで、思ってもいないのに平気で同調する人  

これまで実際に会ったことがある東大生の方は、“自分がいかに勉強しない人間か?”をアッピールするのに相当なエネルギーをつかっている人が大勢いました。

 

その東大生の親というのも、“自分たち親がどれだけリベラルで、愛情豊かで、偏差値教育に洗脳されておらず、子供に勉強を押し付けないで育てたか?”をアッピールするのに相当なエネルギーをつかっておられるようでした。

 

息子を3人とも東大に進学させてから、

(母親)「でも東大や偏差値にこだわるのは無意味ですよね。子供の本人の資質や適性や夢を最大限、配慮してあげたほうが子育ては効率が良いですよね」と語っている『プレジデント』のドヤ顔インタビューを見て、個人的には違和感がありました。

 

本当に「東大進学には価値が無い」と考えるのなら最初から進学しなければいいと私などは思うのですが、なんかその手の東大生とその親が多いのには疲れました。

相当な努力を子だけではなく、親も投入したから、子が東大生になるという成功をつかんだのに、あえて「そんな努力したことありませんわ、おほほほほ」とか言うのが一部で流行しているのでした。

 

こういう精神構造↑は受験だけではなく、リアルとネットのありとあらゆる場所で見受けらえることに気付きました。

投資ブログ界などは、個人資産額が数字で表される世界ですから、自分の年齢と個人金融資産を出せば、貯めこんでいる人は「すごい」と言ってもらえます。

 

その年齢でそれだけ貯めこもうと思えば相当な努力や意志力を必要とすると、客観的に判断できるだけの数字を自分でブログに出しているにも関わらず、

「散財や自己投資することも意味があるし、貯金することも意味があるよね」という中立を装った“いい子ちゃん発言”でお茶を濁すタイプの人を見ると、『プレジデント』の東大親子を思いだします。

 

この手のいい子ちゃん発言をする人は、職場でも趣味の場でもブログ界でも、どこにでもいて、“自分の発言に責任を取りたくない”という気持ちと、“それでも自己主張はしたい・輪の中には参加していたい…”という気持ちが見え隠れしますよね。

 

本当に「お金を遣うことにも意味がある」と思っていないと、瞬時にばれてしまっているのですよね。本当にそう思っていたら、東大になんか最初から進学しないで遊ぶんじゃないかとか、本当にそう思っていたら、生活費を切り詰めるのになんでそこまでちまちま努力しているのかとか、実際の行動が言葉を裏切っているのです。

思ってもいないことを「そういう考え方も正しいよね」と平気で言うところに、言いようのないたちの悪さを感じるわけです。

 

こういう空気が異様に読める男女に限って、誹謗中傷の言葉には神経質だったりします。ブログに「バカ」とか「死ね」とか書くことは良くないよね、悪い言葉には牽引力があるよね…というのですが、それも趣味の問題ではないでしょうか。

感情にまかせて、他のブロガーを「バカ」とか「死ね」とか書いてしまっているブロガーに関しては、私は気にしません。そういう人は感情にまかせて書いているだけですからね。正直でいいんじゃないでしょうか。

しかし、ブログ界とはいえ、空気を読んで、絶対に自分が悪い子にならないように、思ってもいないことを平気で書く手合いは本物の悪党であると思います。たちが悪いというか、まあ、そういう人物なんだろうなあと思うわけです。

こういう良い子ブリッコブロガーには、ブログ界とはいえ、ブログの力関係や影響力をよく知っていて、自分より影響力のあるブロガーに対しては媚びを売り、あまり相手にされていないブロガーに対してはぞんざいにスルーするという顕著な傾向が見られます。つまり全然性格がよくないのです。

ブログの立ち位置なんか配慮せず、「アホ、バカ、死ね」と書いてしまうようなブロガーのほうが人間味があっていいと思いますけどね。

 

 

私は「欲が深い人」は嫌いではないのですが、「欲が深いにも関わらず、無欲を装う人」は嫌い。

金の亡者が自分で金の亡者であることを「認める」のは勇気がいることです。自分で金の亡者であることを認めることで、周囲からある種の偏見で見られるから。でも開き直って金の亡者に徹している人に対しては、私は個人的に尊敬の念も抱くのですが。