反骨と異端

アウトローは文化だ

文章を書くことに何の思い入れも無いのに気が付いたらプロになっていた

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

日曜版の新聞を読んでいたら、芥川賞をとった若い女性の新刊が紹介されていた。   

小説なんか生まれてこのかた1作も書いたことがないわたしでも“いいな~”と思うのだから、ながねん熱心に小説を書き続けているのに、何の賞ももらえないで、まったく成功できていない無数の小説家志望の人から見れば、この人は「垂涎の的」というよりは「殺意の標的」であろう。

集合的な殺意がある種の呪詛のように、この若く美しい女性作家にまとわりつくようになるだろうね。 

芥川賞もらえればその前後の年の年収は1億円を超えるだろうし、“いいな~”にも理由がある。

芥川賞作家である」=「純文学系の早熟な天才である」みたいな見方もあるようだが、なんかあの賞に限っては、毎回似たような作品群が候補になって、似たような長さの、似たようなテイストの読後感…が受賞するような気もするので、わたし自身は過去20年くらい全く“この前、芥川賞もらった本”は読んでいない。でも今回は買って読もうかな。 

何が言いたいのか整理しきれていないが、要するに、紙媒体の世界では依然として権威のある賞であるということである。

 

本当に文章を書くことが好きで、好きで、大好きというのなら、ぜひクラウドワーカーになって毎日記事を書きまくればいいとも思う。

わたしの場合は、文章を書くことが「好き」というよりは「苦痛ではない」という程度である。自分の才能とかセンスとか文体とか文章に思い入れとかこだわりが全くないので、自分の文章を業者がどう煮て食おうと焼いて食おうと関心が持てない。

 

純文学作家を志す男女の熾烈な戦いとは「文体」勝負なので、わたしみたいな奴はやっぱり土俵に向いていない。

 

賞なんかなくても、誰でも“プロ”を目指せる世の中の到来だ。 

「文章を書く」という作業が好きなのか?それとも「名誉が欲しい」のか?

作家志望の人たちに選択肢が増えたことだけでも、クラウドソーシングは素晴らしい。 

「自分が書きたいのは、純文学系の小説やシナリオであって、ああいうSEO対策とかいってどこに使われるのかもわからない“ゴミ記事”ではない」という反論もきそうだが、今回の芥川賞受賞者のように、「コンビニでバイトしながら、文章を書いて作家であり続ける」という生き方よりは、クラウドソーシングの方が本業作家に近いような気もするのだが。