反骨と異端

アウトローは文化だ

「犠牲の累進性」と貧困問題について考える

たとえばC型肝炎で苦しんでいる患者さんに対して「肝臓が悪いくらいで病人ヅラしてはいけないよ。世の中にはガンになる人も、ガンがあちこちに転移して別の病気も持っている人もいるのだから」という説法をしても意味無いわけです。

肝炎は肝炎であると診断して治療に全力を尽くす必要があるし、そのために国保があってその病気の治療に国費を投入しています。

「肝炎になったのはお前の不摂生だ」という言い方もできますが、それなら医療に関する国家予算はあらかた廃止してしまってもよいでしょう。

患者によってはガンを切るよりも、肝炎の治療の方が投入される国費は大きくなるでしょう。そういう問題ではないんですね。

声をあげた貧困者に対して「黙れ」と言ってはいけない。

 

貧困問題に関する、ネオリベの言い分というのは

「いよいよガンになって死にそうな人だけに治療費として国費を投入すればいいのであって、肝臓が悪いくらいでは治療に国費は投入できない」

と言っているのと同じことです。臓器別自己責任論と言ってもよいでしょう。

 

ネオリベは「趣味やアニメや画材やランチに金を遣うだけの余裕があるのなら貧困とは呼べないよ。高校を卒業したらとっとと働け」と言う。

 

個別の貧困問題についても、どのくらいの貧困を貧困と定義して、どういう形で国費を投入するべきなのか?という話になると、いろんな意見が出てくるのですね。

 

日本もあと何年かしたら、大学卒業まで全額国費投入(つまり個人負担ゼロに近い)という教育費大盤振る舞い国家(EUなど)に変貌する可能性もあります。そのころの日本人から見たら、巨額の教育費を親だけが負担するいまの体制(受益者負担の原則)は、不公平極まりない国ということになるでしょう。

ドイツやら北欧は「貧困者はかわいそう」だから大学学費を無料にしているのでは全くなくて、格差拡大に対する抵抗としてそういう政策をとっているという話です。

日本の教育費(大学卒業学費)に対する公的な支援は、事実として先進国中かなり遅れている。格差が際立っている側面です。各種データによって判明していますが、裕福な家の子でないと一流大学へ進学できない現状もありますしね。一流大学を卒業していると新卒カード就活は圧倒的に有利という面も。

大学奨学金に関しても、日本は先進国中もっとも遅れている(整備されていない)という指摘は前からありますし。それなら他の国と同等くらいには、大学奨学金を整備したらどうですか。

 

犠牲の累進性」が好きなネオリベから見ると、「生活保護のくせにまだ余裕のある生活をしている、許せない」という言い方しますけど、「文化的な生活」って余裕のある生活のことです。明日餓死しそうな絶対的貧困だけが貧困であると決めつけるネオリベの考え方がおかしい。生活保護が許せないのはなぜか?

多額の貯金がありながら失業保険を受けるのは許せるのか?