読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

反骨と異端

やどかりアウトロー編

「人のせいにして輝いている人」は大勢いる

物事とか人物、世の中は自分の視点をずらせば、また別の面が見えてくることも多いものです。

「人のせいにして輝いている人はいない」という人は、フィルターにかけてそういう人間しか目に入ってこないようにしているのです。

なぜなら人のせいにしていても輝いている人が存在すると、人の世は矛盾が存在する不可知な世界であることを認めてしまうために、彼女が輝くべき理論が総崩れになってしまうことを本能的に察知しているのでしょう。

 

「自分のダメなところはなるべく世の中・政治・役所・他の連中のせいにしましょう」という言葉は実はわたしのオリジナルではなく、昔懐かし「だめ連」の会としてのスローガンでありました。

有名な「だめ連」宣言の一部のようなものですが、「だめ連」の上のほうの人たちはそれは魅力的な人たちでしたし(話芸があったし、高学歴・大企業経験者だし、私生活はまったく“ダメ”ではなく、かなりモテる人も多かった)、一躍スターになった人も何人かいました。

その後、湯浅誠さんたちと合流して“年越し派遣村”とかやっていましたが、湯浅さんも同じようなことを繰り返しおっしゃっています。湯浅誠も魅力的ですよねえ。

 

「人のせいにしない」というのは、「すべて自分で引き受ける」という意味なのですが、その前提としては、「人間は生まれながらにして完全に公平であり、平等である」という条件が揃わないとそういうことは「言ってはいけない」のです。

 

プロの医師はまず言わないです。患者さんを何万人も診察してきているから、世の中には不公平も理不尽も不平等も当然ある。割食う人は死ぬまで割食う構造苦もある。

 

「人のせいにしない」のが解決策であるのなら、格差論壇も社会政策も不要になってしまいます。つまり「人のせいにして輝いている人はいない」という人は人間の世界を見る時にフィルターで選別して“自分の見たい人だけ見ている人”なのです。