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反骨と異端

やどかりアウトロー編

村上春樹もフランツ・カフカもノーベル賞はとれない理由

toyokeizai.net

ノーベル文学賞って、世界平和に貢献した人じゃないと無理みたいなんですよ。

村上春樹ノーベル文学賞をとれないのは、フランツ・カフカがもしも今生存していたとしてもノーベル賞がとれそうにないのと同じような理由に思えます。

二人とも天才的な人ではありますが、ノーベル文学賞は純文学分野の天才であることがわかりきっている人に与える賞ではなく、あくまで世界平和とか戦争反対とかそういうメッセージがわかりやすい人じゃないと無理なのです。

村上春樹の文学世界は、カフカのそれと似ていて、「個人」の内面を深く深く井戸を掘っていくようなスタイルでして、彼らの文学に通じていたからといって、具体的に今の世界で起こっている、どこかの国の紛争に対する意見は読み取れない。

ディラン的わかりやすさ、親しみやすさ、外向性というのは、『世界の終わり』やら『城』の超内向性には期待てきないのです。

2ちゃんねる用語でいう「スレ違い」という表現が一番ぴったりくるんですけどね。ノーベル文学賞が作家に求めるのは“主張のわかりやすさ”です。

村上春樹カフカの文学世界はわかりやすくない。人間を政治や固有の文化、言語からさえも切り離していき、最後は「個」化していく、バラバラで完全にアナーキーな世界につれていってしまう。

なぜノーベル文学賞が“分かりやすさ”を求めるかというと、(戦争反対のメッセージが)分かりやすくないと、みんながその場で連帯できないからです。しかしカフカやら村上春樹の文学は、そもそも連帯なんか求めていません。連帯したつもり、共有したつもりになる前にもっと個人が個人を掘り下げろよという暗黙の要求があるのです。

別の視点でみると、ノーベル文学賞の選考基準というのが、いかに文学的(芸術的)ではないか…ということの証左になっている気がします。