反骨と異端

アウトローは文化だ

似てないふたり

 

 

不思議に似ても似つかぬ溝口さんと鈴木さんだけど、どちらかというと鈴木さんの方が取材対象に“より近い”印象があるのは私だけか。

溝口さんはエスタブリッシュメントというか、「朝日新聞社が選ぶ!…戦後民主主義を知るための日本の知性100人」に学者や官僚と一緒に選ばれそうであるし、それはそれで素晴らしきことなのだが、取材対象のことを考えると、趣味やら嗜好やら思考やら選択が取材対象とかけ離れるのはいかがなものかという気もするのだった。

それに溝口さんの方はインタビューにて、過去に影響を受けた作家として、トーマス・マン大岡昇平を挙げていた。溝口さんの現在の生真面目な文体や仕事を考えると彼が若き日トーマス・マンにはまっていた…というのは、大変納得いくのである。

しかし鈴木さんが溝口さんの文章が好き…というのは解せないというか、どっこも似ていないというか、良し悪しや優劣の問題ではなく、そもそも天然左翼の溝口さんの文章は、彼のそういう思想的バックグラウンドがたぐまざるレベルで入っているので、左翼じゃない人が読むと違和感があるというか、気分悪くなるというか、どう見ても鈴木さんは共産党とか再分配とか関心あるタイプじゃないし、みたいな。

鈴木さんの場合は、トーマス・マンではなく、サン・テグジュベリなのである。「あんな大人にはなりたくないよね」といちいちメンション送っているタイプである。

溝口さんはマザコンだと思うけど、鈴木さんの場合は自分がおかあさんになるタイプ…と言えば違いがわかりやすいだろうか。 

 

 

 そうそう、あのタイトルだけで読むのやめられる本ですよね。『ダメ女のための~教室』って。じゃ

・『ダメ女のための掃除教室』(掃除しない女は幸福になれないという脅迫が書いてある本)

・『ダメ女のための投資教室』(株が分からない女は老後貧乏という脅しが書いてある本)とか、いくらでもヴァリエ作れる。

原著者ではなくて、翻訳者のセンスの問題。

原書は本当はこういうキワモノタイトルじゃない。Amazonレビューを読むと、原書ではなく翻訳に問題が多そうです。